■ Maple Leaf Rag (1899)/Scott
Joplin
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米国ミシガン州の高校に通っていた時分、ラグタイムというジャンルの音楽があることを知りました。 from Kawatooさん/掲載日 2003.02.21 |
■ Maria Antonieta Pons (1986-87)/David
Thomas Roberts
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デビッド・トーマス・ロバーツ David Thomas Roberts(b.1955)の佳曲。彼自身の解説によると「最近この曲を "Roberto Clemente" の代わりにコンサートの最後でやることが多い」ということです。 彼の解説によると、タイトルの女性は、この曲のモチーフになったキューバのダンサーの名前です。トーマス・ロバーツは、音楽家であると同時にフォーク・ラグ研究家、現代画家、そしてシュールレアリズムの詩人でもあります。そのため、その難解な解説の言葉を一つ一つ読みとるのは、日本人の私には非常に大変な作業です。「たかがラグタイム、酒場の音楽さ」という人がこの解説を読めば、このめくるめくようなボキャブラリーと詩的な言い回し、そして視野の広い世界に圧倒されるでしょう。ディランの歌詞の方が簡単だよ〜。 さて、この曲の形式的なところをチェックしてみると、なんと一度もオルタネイト・ベースが出てきません。リズムやメロディーの雰囲気には、ラグと言うよりはむしろタンゴ、ビギン、そしてキューバやブラジルの音楽に近いものを感じます。彼はあのゴットシャルク Louis Moreau Gottschalk の名も挙げています。しかし、形式は大幅に拡張されてはいますが、クラシック・ラグの4部構成を元に曲が成り立っています。また、全曲を通して躍動的なシンコペーションの魅力を聴くことができます。こういう汎アメリカ音楽性を持つ曲こそ、彼の言うテラ・ベルデの非常によい例だと言えるでしょう。ラグの兄弟たちとの相互作用で、ラグが新しい生命を得たのです。 音楽の内容としては、かなり細かい表現を含む、技巧的に難しい曲です。特に多様な装飾音によるコール・アンド・レスポンスには目を見張ります。しかし、曲そのものは難解ではありません。その次々と現れるイメージはたいへん豊富で、しかもシリアスな緊張感があります。明らかにピアノの発想ではないような所もあり、ステリオ楽団やピアソラのバンドのようなアンサンブルをも感じさせる、奥行きの深い曲だと思います。大作の組曲「New Orleans Streets」(1981-1985)を書き終えてからも、このような才気あふれる曲を生み出せるのは、まさに驚異です。William Bolcom のように、クラシックの世界でももっと注目されていい人なのに、と私はいつも歯がゆい思いをしています。 私は最初、この曲をとあるホームページからMIDIでダウンロードしました。インターネットを初めて間もない頃で、まさかずっと前からファンだったトーマス・ロバーツの曲を、こういう形で聞くことになろうとは夢にも思いませんでした。そして聴き、感動のあまり不覚にも泣いてしまいました。とにかく、音楽として掛け値なしにすばらしかったのです。しかし、私がインターネットを始めたのは、自分の父の命がもう長くないとわかってから、憂さ晴らしのために始めたからだったので、実は涙腺が弱くなっていたのかも知れません。結局、この曲を頭の中で何度も何度も繰り返しているうちに、父は亡くなりました。 今思えば、私はこの曲にどんなに励まされたかわかりません。この曲を聴くと、今でも少し泣けてきます。父の死後1年経ち、私はやっとトーマス・ロバーツ本人の演奏の入ったCD『15 Ragtime Compositions』を手に入れました。今のところ、この曲の入ったCDは、これだけしかないのです。父も若い頃からラテン音楽が好きな人だったので、一度聴かせてあげたかったなあ、と今更ながら思うのです。 私のディスコグラフィーは以下の通り。MIDIを除いています。 P.ソロ CD:15 Ragtime Compositions/David Thomas Roberts from 浜田隆史さん/掲載日 2005.05.05 |
■ Magnetic Rag (1914)/Scott
Joplin
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スコット・ジョプリンの全38曲のラグタイムの中でも、このマグネティック・ラグはかなり自由な構成を持つ個性的な曲です。 そういう状況で出されたこのラグタイムは、昔ながらの型通りなクラシック・ラグを自ら否定するかのように、それまでになかった新しい要素が詰めこまれています。ちょっと難しくなって恐縮ですが、まず音楽的な構成を見てみましょう。 楽節[調、小節数]のように表します。 異なる楽節が「ABCD」と次々にやってくること、普通のクラシック・ラグにはあまりない「最後にA楽節に戻る」というパターンになっていること、キーがマイナーな楽節が多いこと、C楽節が字余り的構成になっていること、そして魅力的なコーダが付けられていることが主な特徴です。また、楽譜上は4拍子になっています。ジョプリンのその他のピアノ・ラグは、例外なく全てが2拍子であり、このこともこの曲が特別扱いで作られていることを示しています。 この曲は、メイプル・リーフなどと同じ構成のA楽節が最もラグ的にキャッチーなメロディーを持っていますが、単音のメロディーや装飾音が目立つのが普通のジョプリン・ラグと異なります。 この曲がジョプリン・ラグの傑作であることは事実ですが、もしジョプリンがもっと長生きして、こういう冒険的試みを続けていれば、ガーシュインをも凌ぐ「クラシックの傑作」が生まれていたに違いありません。この曲でわかるジョプリンの才能は、ラグタイムの可能性をもっともっと広げることができたはずなのです。しかし、それが充分に結実する時間の余裕はありませんでした。ジョプリンは、この曲を発表した三年後、1917年に亡くなってしまいます。 一部の論評では、マグネティック・ラグの混沌とした曲調と、晩年のジョプリンの病による精神障害を関連付けるような記述があるようですが、そのような考え方は作曲者に失礼だと言わざるを得ません。思いきり音楽で冒険した後の、最後に付けられたコーダ(これもブルースのエンディングを連想させます)の美しいセンスはどうでしょう。これはまさに、疑いなく理知的なバランス感覚を感じさせるのです。 この曲を作った才能から、パターン化したラグタイムに留まらない、さらに新しい音楽が生まれていたかも知れないことを、私たちは改めて惜しむべきだと思います。 P.ソロ CD:ラグタイム・クラシックス/池宮 正信 from 浜田隆史さん/掲載日 2005.05.05 |
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